為什麼日本政府會使用豐臣秀吉的家紋作為標誌?

不知道大家有沒有留意過日本內閣大臣、日本政府以及日本內閣使用的紋章。▼

為什麼日本政府會使用豐臣秀吉的家紋作為標誌?

這一紋章為何會和豐臣秀吉的家紋一樣?

為什麼日本政府會使用豐臣秀吉的家紋作為標誌?

上圖為祭奠豐臣秀吉的豐國神社

明治時代以降桐紋が日本政府の紋章として使われるようになったためです。一體桐紋はどのような意味があるのでしょうか。

自明治時代,日本政府就開始將桐紋作為紋章使用。桐紋到底具有怎樣的含義呢?

桐紋の「桐」とは、古代中國の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそうです。こうした風習が日本にも伝わり、日本でも800年頃から天皇の衣類などに使われるなど、皇室のみが利用できる格式ある紋章として使われていたそうです。

桐紋中的“桐”是古代中國神話中的鳥,鳳凰棲息的樹木。自古就是神聖的象徵。這樣的風俗傳到日本後,公元800年左右天皇的服飾等處開始使用桐紋作為裝飾,桐紋成為了只有皇室才能使用的紋章。

しかし、室町幕府の初代將軍である足利尊氏は、當時の後醍醐天皇からこの桐紋を恩賞として頂いたと言われています。また、13代將軍である足利義輝は信長にこの桐紋を與えており、天皇家から有力な武家へ、有力な武家からその家臣へ…といった風に、桐紋を使う家は少しずつ増えていったそうです。秀吉が桐紋を使い始めたきっかけも、信長からこの紋章を頂戴したためだと言われています。

不過,據說醍醐天皇將桐紋賞賜給了室町幕府的初代將軍足利尊氏。之後,13代將軍足利義輝又將桐紋賜給了織田信長。像這樣天皇把桐紋賜給有權勢的武家,有權勢的武家又將其賜給自己的家臣,使用桐紋的家族逐漸多了起來。豐臣秀吉一開始使用的桐紋,據說就是織田信長賞賜的。

被稱為“桐紋”的圖案共有140種以上,而他們的共同之處是三片葉子及三束直立的花序。

為什麼日本政府會使用豐臣秀吉的家紋作為標誌?

豐臣秀吉作為家紋使用過的“桐紋”就不只一種。

五三桐(ごさんのきり)

為什麼日本政府會使用豐臣秀吉的家紋作為標誌?

秀吉がはじめて手にした「桐紋」は、織田信長からもらった「五三桐」。よく見ると、花序につく花の數が3-5-3になっているのが解るでしょう。だから「五三桐」と呼んでいます。

“五三桐”是豐臣秀吉使用的第一個“桐紋”,是由織田信長賜予他的。仔細觀察的話,三束直立的花序上花朵的個數分別為3・5・3。因此被稱作“五三桐”。

五七桐(ごしちのきり)

為什麼日本政府會使用豐臣秀吉的家紋作為標誌?

秀吉が「豊臣秀吉」と名乗るようになったころ、御陽成天皇から「五七桐」という家紋を與えられました。

秀吉改名為“豐臣秀吉”後,陽成天皇賜予了他“五七桐”的家紋。

こちらは、花序が5・7・5の數になっているもので、桐紋の中では最上位と言われています。この紋を天皇から賜ったという事実が、當時の秀吉の地位を表しています。

此家紋的花序上花朵的個數分別為5・7・5,因此被認為是等級最高的桐紋。天皇賜予家紋,也可見當時秀吉的地位。

這正是日本內閣大臣、日本政府以及日本內閣如今使用的紋章。事實上,如今這一紋章被使用和豐臣秀吉的關係不大,更多是由於桐紋本身的尊貴意義。

太閤桐(たいこうぎり)

為什麼日本政府會使用豐臣秀吉的家紋作為標誌?

臣下に桐紋を下賜していた秀吉ですが、あまりに多く五七桐・五三桐を與えていたために、「桐紋」自體のありがたみが薄れてしまいました。

因為秀吉賜了很多五七桐、五三桐給臣下,所以“桐紋”本身的可貴性降低了。

そこで、秀吉は自分だけが使える「太閤桐」という家紋を生み出しました。

因此,只有秀吉自己能使用的家紋“太閣桐”誕生了。

今までの桐紋と比較すると、きわめてシンプルなデザインです。「五三桐」「五七桐」とは全く違う桐紋なので、パッと見ただけでは同じ桐紋とは解らないほど。

與至今為止秀吉使用過的桐紋相比,太閣桐的設計非常簡潔。因為和“五三桐”“五七桐”是完全不同的設計,所以乍一看認不出是同一種家紋。

*太閣:原指攝政、或把關白(輔佐天皇的最高職位)傳給自家子弟的人。曾任關白的豐臣秀吉就推舉了侄子秀次擔任下一任關白。不過後來人們用“太閣”專指豐臣秀吉,也有“豐太閣”的叫法。

本內容為滬江日語原創翻譯,嚴禁轉載。

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