海棠文心(048)鞏鵾:《羅生門》讀後感想

羅生門 日本 海棠 大正時代 海棠書院 海棠書院 2017-11-02

海棠文心(048)鞏鵾:《羅生門》讀後感想

芥川龍之介

日本大正時代有名的作家,以《羅生門》為代表,創作了很多短篇小說。他的作品往往能夠打動人心,為我們展現普世大眾的心靈世界。

《羅生門》簡介

海棠文心(048)鞏鵾:《羅生門》讀後感想

很久很久以前,京都接連遭受天災人禍,整個城市死氣沉沉,人影罕見。

一天傍晚,一個僕人正在羅生門下等待雨停。由於剛被主人解僱,為了尋找一片棲息之所,他爬上了羅生門上的閣樓。令他震驚的是,樓上死屍遍佈,臭氣熏天。更不可思議的是,樓上竟然還有一個穿著樹皮色衣服、又矮又瘦、渾如猴子的老太婆。

定睛一看,老太婆正冷靜地從另一個女屍上把頭髮一根根拔下,打算做個假髮。僕人不禁怒火中燒,把這個連死人都不放過的老太婆狠狠地揍了一頓。老太婆敵他不過,哭著說:“為了生計,我這也是沒有辦法啊。”

僕人覺得言之有理。“既然為了活下去什麼都可以做,那麼我帶走你的衣服也沒什麼過錯吧。”僕人心想。於是他三下五除二脫光了老太婆的衣物,頭也不回地消失在夜幕中。

海棠文心(048)鞏鵾:《羅生門》讀後感想

《羅生門》為我們展現了人類在求生時的利己主義之惡。無論是僕人還是老婦,他們的所作所為都是當時社會的一個縮影。最初,僕人為了求生,心想與其餓死,不如為盜。但是,也許是本性尚善,也許是內心恐懼,僕人雖然這麼打算,心裡卻在善與惡之間艱難地抉擇著。這大概就是“人之初性本善”吧。然而,在聽了老婦的話以後,他狠下心來,將心裡僅存的一點善心拋到了九霄雲外。

如前所述,僕人也好,老婦也罷,都是不幸的人。衣不蔽體,食不果腹,能不能保命都很難說。但是,這並不能成為作惡的理由。“迫於生計”,只不過是為自己的罪行開脫的藉口罷了。人心本來就是很脆弱的,在那樣的情況下,“善”往往不敵“惡”。如果站在僕人的立場上,為了自己的利益而不擇手段的人怕是並不罕見。

我覺得,人生最重要的事莫過於“善”。即使身處衣食不足的困境,我們也應該遵守法律和基本的社會公德,不能置禮義廉恥於不顧。作為一個普通人,“勿以惡小而為之”,做一個有良知的人。只要我們肯努力,困難總是一時的,生活總會更好。

大家怎麼看呢?

作者簡介

海棠文心(048)鞏鵾:《羅生門》讀後感想

鞏鵾,化工學院大二學生。愛語言,愛文學,愛旅行,愛運動。大約一年以前開始學日語,喜歡看動漫和日本的文學作品,希望此為契機,提高自己的日語水平。

感謝海棠書院這個平臺,讓我們相識。前路漫漫,讓我們共同努力、共同進步吧!

這裡是作者精心準備的日文版書評

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「羅生門」の読後感想文

皆さん、こんばんは。また「読み甲斐の文章のシェア」のタイムだね。今日、私は「羅生門」を読んだ後の感想を皆さんと話し合

引子

芥川龍之介は、大正時代の有名な作家として、「羅生門」をはじめ、たくさんの短編小説を作る。彼の作品は、いつも人々の心を打つストーリーを通じて、人間の精神世界を読者に見せる。

作者簡介

昔々、京都には、地震とか辻風とか火事とか飢饉とか雲う災いが続いて起こった。それで、長い間自然災害に襲われた京都は、もう見る影もなく壊れた果てていた。

ある日の夕方、一人の下人が、羅生門の下で雨宿りしていた。泊まれる宿を探すために、下人は門の上の樓へ上った。驚いたことに、最上階は死人だらけで、死骸の腐亂した臭気を嗅ぎつけられた。檜皮色の著物を著て、痩せて、背の低くて、猿のような年を取った女が目にして、なんと不思議なことか。

あの老婦人は、落ち著いて、ほかの女の長い髪の毛を一本ずつ抜いていた。この情景を見ると、下人は、怒りを抑えられなくて、老婦人をさんざん毆った。老婦人は、「今また、わしのしていたことも悪いとは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢死をするじゃて、仕方がなくする事じゃないわの。」と聲を出して、泣きじゃくりながら言った。

すると、下人は「では、おれが引剝をしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢死をする體なのだ。」と言った途端に、老婦人の著物を剝ぎとった。そして、彼は、もうこちらを振り返ることもなく、夜のとばりに消えて行った。彼の行方は、誰も知らなかった。

故事情節

「羅生門」は、生きるための悪という人間のエゴイズムを描き出す。この文を読むと、下人も老婦人も、そんな恥ずかしいことをせざるを得ない社會生活の縮図の一つだと思う。最初、この下人は生きられるために、飢死というよりも、強盜になるつもりだ。でも、彼は正直にしろ恐懼にしろ、そうしようと思いつつ、実は強盜の道へ行くかどうかまだ迷って決められない。これは「人間は生まれながらにして善である。」という諺だろう。けれども、老婦人の話を聞いたところで、下人はわずかに殘った善を放って置く。そんな狀況で、生き延びる以上は、何を問わずできるだろうと思って、いやなことをやってしまう。

前に述べたように、その時代において、下人にしろ、老婦人にしろ、不幸な境遇の人だ。食べ物がなくて、お腹が空いて、命を取り留めるかどうか分からない。しかし、これは品行が悪くなって、生活が亂れることの理由ではない。「悪事も仕方がない」は、ただ自分の罪を逃れる口実でしょう。人間の心が元々弱いものだから、いつも「善」は「悪」に負けると言われる。下人のような狀況に置かれた場合、自分の利益に向かって、手段を選ばないことがあると思っている。

私は、人生の中で、「善」が一番大切なことだと思っている。たとえ衣食の足りない暮らしの苦境に直面していても、法律と道徳を守らないわけにはいかない。普通の人間にとって、悪事を働かないで、正直に生活するはずだ。非常に困難な狀況が生じれば、積極的な態度に出て、命運に負けないで頑張りさえすれば、生活がうまくいくでしょう。皆さんはどう考える?

自己紹介

私は鞏と申して、天津大學化學工業學部の二年生だ。言語學も大好きなら文學も大好きだ。旅行や運動などに興味を持っている。日本語と言えば、一年前ぐらいから勉強し始めた。それ以來、いつも日本のアニメやら名著など様々な作品をきっかけにして、日本語に更に磨きをかけようと思っている。

「カイドウ書院」において、皆さんと知り合って、たくさんの友達を作る。皆さん、頑張りましょう。

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